子宮

多発子宮筋腫の手術で入院

子宮筋腫で手術入院をした時の話です。今から10年ほど前、子宮に筋腫が有る事が分かりましたが、「大きくならなければ問題ない」と医者に言われ、そのまま定期健診のみで経過を観察し、特に処置はしませんでした。

しかし、30代前半で見つかった筋腫は、40歳を過ぎると少しずつ大きくなり、43歳の頃には10㎝にまで大きくなり、その他にも小さな筋腫も多数見つかり「多発子宮筋腫」と診断されました。

月経が終われば問題ないそうですが、まだまだ閉経には何年もある為に手術する事になったのです。

子宮全摘を避けるために

それまでは個人の女医さんがやっているクリニックで診てもらっていましたが「ここでは手術は出来ない」と言われ、大きな病院へ紹介状を書いてもらい、そこで診察を受ける事になりました。

薬

病院では、手術前に筋腫を少しでも小さくする為に、6か月間月経を止める注射(一本10,000円弱)を打ち続けましたが、さほどの効果は得られませんでした。薬が効く人は劇的に小さくなるそうです。

出来れば子宮温存を望んでいましたが、筋腫も小さくならず年齢的な事もあり仕方なく子宮全摘手術になったのです。

子宮筋腫の手術

人生初めての手術で不安はありましたが、手術が終わるまでは何の痛みも無く平気だったのです。しかし、手術が終わり病室へ戻ってくると麻酔も切れ、じわじわと痛みが増してきます。

術後は体を自分でうまく動かせないので、看護師さんに体位交換してもらうのですが、その都度激痛が走ります。辛かったのが手術翌日です。「何もそこまで急がなくても・・・」と思うのですが、術後に入った部屋から一般の部屋へ移動しなかればならなかったのです。車いすに移る際に、やはり激痛が走り、思わず「ストレッチャーで運んで」と言ってしまいました。

病室

移動した大部屋には幸い他の患者がおらず、私一人で過ごせて快適でした。しかし、翌日には他の患者さんでベッドが埋まり、快適な入院生活は一晩で終わってしまいました。

一番苦しい時期を誰にも遠慮せずに過ごせたことは、ラッキーだったと思います。しかし手術そして入院は2度としたくないと思った事も確かです。

咳

喘息の嫌な思い出

私は幼児の頃から気管支炎を患っていました。それは最終的に23歳まで続く喘息に発展しました。

学生時代の喘息の嫌な思い出

気圧の影響を受けやすく、だいたいは夜寝ている間に発作が起きてしまい一時期は必ず母親が隣で寝るような生活をしていたこともありました。通学時、冬の寒い日などは学校に着いた段階で息が上がってしまい保健室に行く事もありました。

大きな問題は両親が変わったこだわりをもっていたことでした。投薬による治療ではなく、自然治癒力によって喘息を治そうと思っていたのです

そのため、診断書がない状態で「喘息がある」と言って学校を休むと次回登校した際に「ずる休みしたんでしょ」と言われる事も有りました。診断書の事は先生くらいしか知らないはずなので、今思えば先生から生徒の方へ情報が流れてしまったのだと思いました。

山登り

一番辛かったのは小学4年の時の山登りでした。「ただの仮病」だと思っていた先生方から「どんなに辛くても参加して下さい」と、通告があり喘息の発作が起きていましたが投薬なしの状態で山登りをすることになりました。健康な生徒とは別の最短ルートを行く事になったのですが、ゼェゼェと音を立てて呼吸する私を見て「ずいぶんと演技がうまいのね」と先生に嫌味を言われる始末でした。

意地だけで登りきりましたが、その後はもう限界で食事も座っている事もできずにベンチでうずくまるような状態になってしまいました。流石に「これはおかしい」と判断した先生が、下山する時はおぶってくれました。そして、仕事で家に居ない親の代りに家まで送ってもらいました。

どう考えても両親がおかしいのですが、当時の私はその両親の考えが常識だったためにどうする事もできませんでした。今思うと先生方には本当に迷惑をかけてしまったと思います。

成人した後に親を説得し、病院に行かせて貰えるようになりました。おかげさまで現在はとても元気に過ごしています。病弱なのは仕方の無いことでしたが、やはりしかるべき処置、通院の大切さを学んだように思います。