高熱

髄膜炎そして原因不明の病気に悩まされた話

私は今現在35歳。二人の子供を持つパパです。子供達もすっかり大きくなり、今は子供の習い事・行事に追われ大変な日々を過ごしていますが、元気に毎日を過ごせています。

そんな私の昔の話です。約10年前のお盆の時期に、高熱が続き病院に行ったのです。風邪薬を飲んでも、バファリンを飲んでもいっこうに熱が下がらないので、さすがにヤバイかなと思って病院に行ったのです。

髄膜炎を発症

そうしたら病院の先生が私に考えてもいなかった病名を伝えたのです。それは「髄膜炎」でした。私はまったく聞いたこともなく、頭の中は「?」だらけです。まずは1週間入院をしないらしく、仕事を休むために会社の上司に連絡をしました。上司もあまりにも突然だったので、ビックリしていました。

病室

髄膜炎とはちょっとこじらせたら命の危険もあるらしく、まずは安静にしないといけないらしいのです。そのため、入院中はものすごく暇だったのです。ただ幸運にもその年の夏はあのハンカチ王子こと早稲田実業の斎藤佑樹が甲子園で優勝をした年でした。野球が大好きでなおかつ高校野球をしていた私には、暇つぶしに最適な高校野球でした。

しかも毎試合がハラハラするおもしろい展開で、しかもマー君など注目された選手もいて最高の入院生活となりました。

しかし、そこからが大変でした。退院後1週間静養したのちに復職したのですが、入院する前の通りに仕事をこなさねばならず、いきなりのハードワーク。家に帰ればまだ一歳にもならない子供がいて夜泣きは酷いし、夜も眠れない日が続きました。

原因不明の病気に・・・

そうした日が続いたある日突然激しい目眩が私を襲ったのです。まったく平衡感覚がなくて、ずっと体が斜めに傾いている感じでした。平衡感覚が崩れているのですぐ気持ち悪くなるし、そんな状態では仕事になりません。しかし会社からはあまり理解を得られず、辛かったです。それでもいつかは治るだろうと必死で仕事をしました。

それから治るまで一年かかりました。平衡感覚をもとに戻す為にバスケやサッカーもしました。ふらふらしていたけどなんとか治りました。こういう外からはわからない病気になったら理解をしてもらえるかわからないので大変苦労しますね。できたらもう2度となりたくはないです。

泣く娘

突然の娘の食物アレルギーにパニック!良いお医者さんが担当で本当に良かった

関東に引っ越してきて一週間が経ったころ、娘が食物アレルギーを突然発症しました。

顔を腫らし泣き叫ぶ娘を前に何をすれば良いか頭の整理がつきません。そのような中思い浮かんだことは、食物アレルギーは命にかかわる場合もあるということでした。ますます頭がパニックになり、気づくと携帯で救急車を呼んでいました。

食物アレルギーで病院へ

アレルギーの知識がなかった私は、電話の向こうの問いかけにとにかく来てくださいとしか答えられません。幸いそれほど時間が経たないうちに救急車が到着し、乗り込むことができました。

救急車

救急隊員の方は娘の症状を一つ一つ確認し無線で病院に連絡をします。娘がどのような状況なのか、命の危険はないのか、心配で仕方がなかったのですがただ隊員の方の指示に従うことしかできませんでした。

病院に到着し、しばらくすると30代くらいの男性医師が優しそうな面持ちで近づいてきました。「お母さん大丈夫ですよ。」まだ震えが止まらない私に優しく話しかけてくれました。娘のアレルギー症状は重かったものの、呼吸器に影響はなく命に関わるものではありませんでした。「一度落ち着きましょう」という言葉と医師の穏やかな雰囲気に私の気持ちも落ち着いてきました。

良いお医者さんが担当で良かった

それから数時間顔が腫れあがった娘を抱きながら、医師といろいろな話をしました。アレルギーの事、医師が単身赴任で関東に来ており家族と離れて暮らしていること。

アレルギーについて無知な私に丁寧に納得するまで説明をし、時々少し寂しそうに遠くに住む自分の家族の話をしてくれました。

そうして数時間が過ぎたころ「もう大丈夫です。帰ってもいいですよ。」」と、医師が言いました。数時間の会話の意図は娘が急変しないか様子を見ていていたとのことでした。私が不安にならないように、気がまぎれるように他愛も無い会話をしながら傍にいてくれたのです。

病院という所にあまり良い印象を持っていなかった私ですが、世の中にはあの様に患者に寄り添ってくれる医師もいるのだと思いました。現在そのお医者様は単身赴任を終え地元に帰られました。きっと地元の皆さんに信頼される素敵なお医者様になっていると思います。