満開の桜

来年の桜は見れるかな

自分自身が盲腸になって急遽入院した時の話です。

突然の腹痛で倒れ病院に搬送されたのですが、病床がなく、とりあえずの措置でがん病棟での入院生活が始まりました。

病室

目を覚ませば高齢者ばかりいて、もう挙動不審になってしまう程でした。実はその頃介護の仕事に就くため介護福祉士の勉強中、ベットに横たわる自分の姿に違和感を覚えた事は今でも忘れません。

母親が朝早く見舞いに来て自分が倒れて家族に迷惑かけた事を聞かされ、さらにいつもの口調で叱咤激励する母。

「どうするのよ!これから介護する側が倒れちゃあ、介護される側の方に失礼だよ!」

入院しているおじいさん

そんな母に声を掛けたのは隣にいるおじいちゃんでした。

「あんたの息子さんはこれから介護の仕事に就くのかい?」「がんばっておくれよ」

その後、そのおじいさんはまるで実の孫のように私に接してくれました。

入院生活を共に過ごす中で、おじいさんは身の上話から病気の話、そして自分の孫の話まで色々な事を話してくれました。その会話の中で、実の孫が去年交通事故で亡くなった話をしている時に、なぜ赤の他人の私に優しく接してくれるのかが分かりました。

「あまりにも孫に似てたからさなんか情が湧いたのさ」

そんな入院生活が続いたある日、おじいさんは調子が悪いのかベットから立ち上がるのも苦しそうでした。

季節は春、病棟から眺める桜は満開でした。その桜を見ながらおじいさんは「来年はこの桜は見れないだろうな」ぽつりと窓越しで呟く姿を見るのは実は耐えれなかったのです。

実は自分自身も早いうちから祖父はいませんでした。昔、若き母が病気がちな祖父のいる病院に通っていた記憶が一瞬思い出されたのです。

散った桜

盲腸の手術を終え、退院当日おじいさんは力いっぱい手をふってくれました。それから数日後、満開だった桜は散ってしまいました・・・。

入院をしてこれから介護を行おうとする自分が患者側の立場にたてた事は自分にとっていい経験をさせてもらったと思います。

病気が教えてくれた「命の尊さ」をかみしめ介護福祉士として頑張っていきたいです。

心臓の病気

30歳なのに心房細動に

いままで、ほとんど病院にお世話になることがありませんでしたが、会社の健康診断で「心房細動」という結果がでました。

確かに、ここ数か月、仕事が忙しく睡眠時間も短くなってしまい、不整脈を感じることがありました。しかし、健康だけが取り柄な私にとっては「まぁ大丈夫でしょ」くらいに思っていました。

初めて健康診断で問題がでた上に、その問題が心臓にあることに驚きました。ネットの口コミを確認して、評判が良い循環器系の病院に通院しました。

まずは投薬治療

投薬治療

病院に行くと慢性の心房細動という診断で、常に発作が起きている状態とのことでした。エコー検査をすると、心臓自体には問題がなくストレスなどで心房細動が起きてたようです。30歳で、その状態であることは大きな問題とのことで、まずは投薬治療を行いました。

2週間ごとに通院し、『サンリズムカプセル50mg』という不整脈の薬と『プラザキサカプセル110mg』という脳梗塞を予防する薬を処方されました。

薬を飲むと、6時間くらいは脈が正常に戻るのを感じることができますが、6時間を過ぎると心拍がおかしくなり息苦しくなりました。

電気ショックによる治療

3回通院しても改善されず、通院から6週間目に電気ショック(電気的除細動)での治療を勧められました。電気ショックと聞くと怖いイメージがあり即答できず、家に帰ってネットなどで調べました。

電気ショックで、心臓を動かすための電気信号を一旦とめて再度動かすことによって、余計な電気信号を止めるというものでした。さらに、全身麻酔も必要とのことでした。

しかし、心房細動の状態が長く続いてしまうことは、今後の健康にとって大きなリスクになると判断し、電気ショックでの治療を選択しました。

電気ショック

意を決して病院に行って伝えると、すぐに準備してもらいました。当日に行うと思っていなかったので「えっ、今日?」と驚きましたが・・・

処置室に行くとベッドに横になり心電図や点滴が始まり、「麻酔薬を点滴から注入しますね」の言葉を聞いて、「麻酔が効かなかったらどうしよう」と不安になりましたが、その瞬間から記憶がありません。

「○○さん!」の呼びかけで気が付くと、もう終わっていました。

時計を見ると、30分ほどしか時間が進んでいませんでした。1回の電気ショックで、心房細動は解消されたようです。

その後は、投薬はなく1か月毎に通院しましたが問題なく、半年が過ぎ通院する必要もなくなりました。

しかし一度、心房細動になると、再発しやすいとのことなので、睡眠時間やストレスのケアに気を付けています。