胸の痛み

旦那が肺気胸で入院した思い出

ある日、旦那が起きて来て早々に「息を吸うと胸のあたりが痛い」と言い出しました。どうも前の日の会議後に飲みに行ってダーツをした後から痛み出したようです。

心配だったものの本人は「シャワーを浴びて温めたらましになった」と、そのまま仕事に出かけていったので、私もあまり気にすることなくそのまま買い物に出かけました。

胸の痛みが悪化

するとその日の昼過ぎに旦那から電話がかかってきました。ちょうど私は出先だったのですが、どうも胸の痛みが悪化したらしく近くの病院に行くとのことでした。

胸の痛み

病院嫌いの彼はどの病院に行けば良いか分からず調べて欲しいとのことだったので、ネットで調べ、一番近い病院を伝えました。「一緒に行こうか」と言ったのですが、その時もそこまで痛みはひどくないし、診察後に職場に戻って仕事がしたいからと一人で病院に行きました。

私はだんだん心配になってきたのでとりあえず家に帰ったほうがいいのかな、と用事を取りやめて家に帰ることにしました。

それから一時間後、折り返しかかってきた電話は想像以上のものでした。

【診察の結果】肺気胸で即入院

肺気胸になっていて、すぐに処置が必要だから大きな病院に行き、そのまま入院」と言われたそうです。沈んだ旦那の声で伝えられた時は驚きましたが、かえって私が冷静にならないといけないなと気が引き締まったのを思い出します。

私たちは近くに「頼れる親戚」も「親しい友人」もいないので、どうにか私が全部の手続きと準備をしなくてはいけませんでした。とはいえ、入院準備なんてしたこともないし、自分が入院したこともないのでさっぱりわかりません。

主人も動揺しているようで、行先の病院すらはっきりわからないまま主人は運ばれていき、私は病院経由で行先を知るしかありませんでした。

必要なものも最低限のものを想像で持っていくしかなかったのでとても不安でした。

病院

運ばれた先の総合病院では緊急外来に通されたようですが、他の救急の方が先に処置され、旦那の処置が後回しになっていたようです。

全てが終わったのは夜の9時。旦那は私以上に辛い状況で待たされていたようで痛みも有りぐったりしていました。普段怒らない旦那がイライラしていたので、よっぽど辛かったんだろうなと思い、かわいそうになりました。

何がいつ起こるのか病気に関しては全く想像がつかないことですが、一つ一つ経験を積むしかないのかな、と思います。このことで旦那さんはすごく痛くて辛い思いをしたと思いますが、急な入院の際はどうすればいいのか、何を聞くべきなのかなど色々と勉強できたことは不幸中の幸い?でした。

胃カメラ

20代で胃カメラの常連に・・・

26歳の誕生日を迎えた数日後、急な胃の痛みに目が覚めたのがすべての始まりでした。しかし、仕事を休むわけにもいかずその日は無理をして仕事に行きました。

腹痛

胃の痛みは一日の中でも波があり、特に痛むのは起床後と夕方だったので日中の仕事中はだましだましなんとかやりすごしていました。

それまでは胃腸の強さだけが取り柄だったような私だったので、胃薬など飲んだこともなく胃の痛みを感じても胃薬を飲むという考えすら及びませんでした。

そんな日が何日か続き、ついに朝起きた時ベッドから起き上がることができなくなり、いよいよヤバイと思い胃腸科の病院の門をくぐりました。

初めての胃カメラ

そして、問診の段階でお医者さんにすぐに胃カメラ検査をするように言われ緊急で検査することになりました。その時の検査が辛いのなんの・・・

胃カメラ

初めての胃カメラは、口からカメラを入れる一番オーソドックスなタイプのものでしたが、歯医者で器具を口に入れられただけでもえずくような私ですので、口からあんな太い器具を入れられるなんて考えただけで一瞬気が遠のきそうでした。

そして、いざカメラを挿入された時、やっぱり・・・というか案の定私は過呼吸になりました。

「そんなんじゃカメラが入らない!」と医者は怒り、怒られた私はさらに過呼吸に・・・、という地獄絵図が繰り広げられていたところに白衣の天使が登場し、慣れた様子で私の背中をさすってくれなんとか一命をとりとめた私。その時の地獄絵図が今でもトラウマとなり、今では必ず麻酔をかけてもらい胃カメラをしています。

検査の結果、すでに胃に穴が空いている状態で胃潰瘍と診断され、ピロリ菌が全くいなかったきれいな胃が26歳にしてストレスで穴をあけられてしまいました。

思い返せば、その当時は仕事も多忙で不摂生が続き、生活も不規則で気づかぬうちにストレスがたまっていたのかもしれません。

それ以降、ちょっとでもおかしな胃の痛みを感じると病院に行くようにしています。その結果、31歳にしてこの5年で胃カメラを10回も経験するちょっとした胃カメラの常連となってしまいましたが、最近では過呼吸となることもなく、胃カメラ検査と聞いても、慣れたもんだと検査に挑むことができています。

高熱

髄膜炎そして原因不明の病気に悩まされた話

私は今現在35歳。二人の子供を持つパパです。子供達もすっかり大きくなり、今は子供の習い事・行事に追われ大変な日々を過ごしていますが、元気に毎日を過ごせています。

そんな私の昔の話です。約10年前のお盆の時期に、高熱が続き病院に行ったのです。風邪薬を飲んでも、バファリンを飲んでもいっこうに熱が下がらないので、さすがにヤバイかなと思って病院に行ったのです。

髄膜炎を発症

そうしたら病院の先生が私に考えてもいなかった病名を伝えたのです。それは「髄膜炎」でした。私はまったく聞いたこともなく、頭の中は「?」だらけです。まずは1週間入院をしないらしく、仕事を休むために会社の上司に連絡をしました。上司もあまりにも突然だったので、ビックリしていました。

病室

髄膜炎とはちょっとこじらせたら命の危険もあるらしく、まずは安静にしないといけないらしいのです。そのため、入院中はものすごく暇だったのです。ただ幸運にもその年の夏はあのハンカチ王子こと早稲田実業の斎藤佑樹が甲子園で優勝をした年でした。野球が大好きでなおかつ高校野球をしていた私には、暇つぶしに最適な高校野球でした。

しかも毎試合がハラハラするおもしろい展開で、しかもマー君など注目された選手もいて最高の入院生活となりました。

しかし、そこからが大変でした。退院後1週間静養したのちに復職したのですが、入院する前の通りに仕事をこなさねばならず、いきなりのハードワーク。家に帰ればまだ一歳にもならない子供がいて夜泣きは酷いし、夜も眠れない日が続きました。

原因不明の病気に・・・

そうした日が続いたある日突然激しい目眩が私を襲ったのです。まったく平衡感覚がなくて、ずっと体が斜めに傾いている感じでした。平衡感覚が崩れているのですぐ気持ち悪くなるし、そんな状態では仕事になりません。しかし会社からはあまり理解を得られず、辛かったです。それでもいつかは治るだろうと必死で仕事をしました。

それから治るまで一年かかりました。平衡感覚をもとに戻す為にバスケやサッカーもしました。ふらふらしていたけどなんとか治りました。こういう外からはわからない病気になったら理解をしてもらえるかわからないので大変苦労しますね。できたらもう2度となりたくはないです。

泣く娘

突然の娘の食物アレルギーにパニック!良いお医者さんが担当で本当に良かった

関東に引っ越してきて一週間が経ったころ、娘が食物アレルギーを突然発症しました。

顔を腫らし泣き叫ぶ娘を前に何をすれば良いか頭の整理がつきません。そのような中思い浮かんだことは、食物アレルギーは命にかかわる場合もあるということでした。ますます頭がパニックになり、気づくと携帯で救急車を呼んでいました。

食物アレルギーで病院へ

アレルギーの知識がなかった私は、電話の向こうの問いかけにとにかく来てくださいとしか答えられません。幸いそれほど時間が経たないうちに救急車が到着し、乗り込むことができました。

救急車

救急隊員の方は娘の症状を一つ一つ確認し無線で病院に連絡をします。娘がどのような状況なのか、命の危険はないのか、心配で仕方がなかったのですがただ隊員の方の指示に従うことしかできませんでした。

病院に到着し、しばらくすると30代くらいの男性医師が優しそうな面持ちで近づいてきました。「お母さん大丈夫ですよ。」まだ震えが止まらない私に優しく話しかけてくれました。娘のアレルギー症状は重かったものの、呼吸器に影響はなく命に関わるものではありませんでした。「一度落ち着きましょう」という言葉と医師の穏やかな雰囲気に私の気持ちも落ち着いてきました。

良いお医者さんが担当で良かった

それから数時間顔が腫れあがった娘を抱きながら、医師といろいろな話をしました。アレルギーの事、医師が単身赴任で関東に来ており家族と離れて暮らしていること。

アレルギーについて無知な私に丁寧に納得するまで説明をし、時々少し寂しそうに遠くに住む自分の家族の話をしてくれました。

そうして数時間が過ぎたころ「もう大丈夫です。帰ってもいいですよ。」」と、医師が言いました。数時間の会話の意図は娘が急変しないか様子を見ていていたとのことでした。私が不安にならないように、気がまぎれるように他愛も無い会話をしながら傍にいてくれたのです。

病院という所にあまり良い印象を持っていなかった私ですが、世の中にはあの様に患者に寄り添ってくれる医師もいるのだと思いました。現在そのお医者様は単身赴任を終え地元に帰られました。きっと地元の皆さんに信頼される素敵なお医者様になっていると思います。

病室

入院するならやっぱり個室が一番!同室の見舞い客が不快過ぎて・・・

まだ大学生だった頃、「回腸末端炎」という病気になり一週間ほど入院しました。

回腸末端炎という病名は聞きなれないと思いますが、症状は盲腸にとても良く似ていて、とにかくお腹が痛くて身動きも出来なくなります。

私に処置された治療法は、点滴で抗生物質を投与する事でした。数日間は飲んだり食べたりできず、点滴のみで過ごし、点滴が取れてから数日して退院という流れでした。

同室の女性を見舞いに来る旦那さんが・・・

入院した部屋は個室ではなく、30代くらいの女性と同室でした。

私は親元を離れて暮らしていたため、近所に住む姉が昼間にちょっと寄る程度のお見舞いに来てくれるくらいでした。一方、同室の女性には旦那さんがおり、この旦那さんが四六時中訪ねてくるのが相当苦痛でした。

私に四六時中付き添ってくれる人がいなかったからでは有りません。旦那さんの態度・言動が私をかなり不快にさせたためです。

見舞い

この旦那さん、女性を見舞っているのではなく、早く退院して仕事をしろと言いに来ていたんです。

奥さん「だからまだ退院の許可はでていないって。」
旦那さん「怠けているだけだろ。」
奥さん「先生と話しをしてよ。原因がわからないんだって。」
旦那さん「別にどこも悪そうじゃない。」
奥さん「どこも悪くなかったら倒れないでしょ。」
旦那さん「仕事がたまっている。早く退院して働けよ。」

こんな感じの会話を1日に何度もやってきては繰り返していました。

どうやらこのご夫婦は2人で事業をされているらしいのですが、奥さんが急に倒れて入院しているため、旦那さんの仕事量が増えて困っている様子。病院に来る時間があれば仕事すればいいのにと思いながら聞いていました。

当時まだ大学生の私は、うるさくても何も言えず、しかも点滴をしてもらっているので部屋から出て行くことも出来ず、たった一週間でしたが、病気以上につらい体験でした。

倒れるまで働いているパートナーに「怠けているだけ」という人がいるなんて、信じられない気持ちでいっぱいでしたし、こんなギスギスした夫婦の会話を平気で他人に聞かせられる人がいるなんて、とびっくりしたのを今でも覚えています。

点滴は数日で取れたため、退院までの残りの数日間はなるべく休憩室みたいなところで過ごすようにしていました。

入院して思った事「やっぱり個室が良い」

病室

その後、有り難い事に入院するような事故にあったり病気にはなっていませんが、今後入院することがあれば、間違いなく個室に入れるようにしたいです。そのためには保険と貯金かなと思っています。

「健康であること」・・・普段は全然気にも止めないことですが、実際病気になってからだとかなり気にしちゃいますよねぇ。私も同じで健康であることが普通すぎて、健康体であることの有り難みが分かっていませんでした。病気で苦しむ事がどんなことなのか今一度勉強しましょう。